がまんは毒、汚い言葉も使いよう

がまんは毒
 がまんは毒だし、意志力には容量がある。堪忍袋には大きさがあり、堪忍には限界がある。
フロリダ州立大学の心理学者ロイ・バウマイスターは「自我の消耗」論をとなえています。自分の力でがまんするなど、自我の力を使う事柄には、一定の限度量があると主張しているのです。
彼らは、焼き立てのチョコレートチップ入りクッキーをのせた皿の隣に学生を座らせました。学生たちのうち、ひとつのグループはクッキーを食べることを許可され、もうひとつのグループは我慢するように命じられました。その後、両方のグループが、難しいパズルを完成させることを求められた。
結果、クッキーの我慢を強いられたグループは、「我慢の蓄え」がすでに消耗しており、新しい課題を与えられるとすぐに投げ出しました。一方、意志力を保存していたと見られる、クッキーを食べたグループは、パズルに対してより長い時間取り組んだ。つまり自我が消耗すると、自我的な行為(自分の意志で何かをする行為)ができなってくるというわけです。
汚い言葉は痛みを減じる
一方で、「チクショー」など汚い言葉を使うと、がまんが長続きしそうです。
英国キール大学のリチャード・ステファンらは、大学生67名を対象に、5℃の冷水に非利き手を最大で3分間、つけてもらう実験をしました。耐えられなくなったら手を冷水から出します。
この時、大学生は以下のふたつのグループに分けられました。
① 手を冷水につける間、ののしりの言葉(チクショーなど)を一定のリズム、大きさで繰り返し発声する
② 手を冷水につける間、椅子に関連する言葉(四角いや固い)を①と同じリズム、大きさで繰り返し発声する
そして、その後、水に片手をつけたことで感じた主観的な痛みを報告してもらいます。
結果、「チクショー」「馬鹿野郎!」などのののしりの言葉を大声で言った人は、椅子に関する言葉を大声で言った人と比べて、主観的な痛みを小さく報告しました。また冷水に手を付けている時間も長くなっていました。脈拍が早くなっており、興奮が痛みを忘れさせていたのかもしれません。https://journals.lww.com/neuroreport/abstract/2009/08050/swearing_as_a_response_to_pain.4.aspx
心の痛みも小さくなる?
さらに、汚い言葉を吐き出すことは、心の痛みも小さくしてくれそうです。
ニュージーランド・マッセー大学のマイケル・フィリップらは、ののしりの言葉をはきだすことが、仲間外れにされた孤独のような社会的苦痛に対しても効果があるのかを調べました。
大学生62名に、過去、仲間外れにされた経験を書きだしてもらいます。
それから、大学生をふたつのグループに分け、一方は、「チクショー」「くそ野郎!」などと二分間口汚くののしりの言葉を叫びます。一方はなにもしません。そして、仲間外れにされた心の痛みの程度を報告してもらいます。
すると、体の痛みの時と同様、心の痛みの程度も、汚い言葉を叫んだグループの方が小さくなっていました。身体的痛みには、体性感覚野や島皮質(とうひしつ)がかかわります。心の痛みも同様なようで、心理的な痛みは、身体的な痛みのメカニズムを使って感じているようなのです。そして痛みとの折り合いも、前部帯状回(ぜんぶたいじょうかい)という共通な脳部位で行っているようで、汚い言葉を吐くこと、がまんしないことが痛みの度合いを減じてくれるようです。

この記事へのコメント