心で考えるには言葉が必要だけど、言葉が生まれる前にはどうやって人間はものを考えていたのですか?

すばらしい質問ですね。言葉と思考の関係についての素晴らしい、そして難しい質問だと思います。
 たしかに人が心の中で考えている時、言葉を使っていると感じられることがおおいですよね。今日は気持ちのいい天気だな、とか、○○ちゃんがああいったのは、きっとこんな理由からかな、とか。言葉で考えている。というか、考えを言葉でたどることができる。
 実際、頭の中で考えてもらっているときの脳を調べると、言葉を話すことに関係する場所(ブローカ野)、言葉を聞くことに関係する場所(ウェルニッケ野)、それをつなぐ神経線維の束(弓状束)とかが活動しています。だから、頭の中で考えている時でも言葉は使っているだろうなと、そうかんがえられますよね。
 (そういう頭の中で使う言葉を内言(ないげん)といいます。内側の言葉と書いて、内言です。だから、内言を使って考えるということはあるし、多い。)
 
 さて、最近どこかに遊びに行きましたか?
たとえばディズニーランドに行った時のことを考えるときって、言葉でパレードが面白かった、と考えることもあるけど、パレードの映像を次々に思い出すこともあるよね。それも、考えているといえば、考えている。
 脳でいえば、見ることに関連する後頭葉とか、空間的なイメージに関係する頭頂連合野とか右前頭前野とかが活動している。パレードの興奮、ドキドキを思い出すというのもある。感覚や感情だね、あたまのなかでそういうのを考えることもできる。
 ぼんやりしているとき、言葉で考えているとは言いにくいけど、脳のあちこちをつなぐ神経のつながりは活動しているのね。だから、急に何かを思いついたりする。思いつく前の考えを、言葉で表現することは難しいけど、やっぱり考えていたといえば考えていたといえる。

 だから、言葉が生まれる前、ブローカ野とかがはっきり分化してくる前には、感情とか感覚とか、視覚的なイメージとかを使って考えていたんじゃないか。言葉じゃなくても、神経同士のつながりをあれこれ使ったり、変えたり、それが考えるってことなんじゃないか。そういう考え方もあります。
動物だって言葉は使わないけど、道具が使える動物もいたり、言葉ではないコミュニケーションをとっていたりする。それも考えているといえるんじゃないか。
なんか動物かったりしてる?・・・飼っている人は動物が明らかに考えていると思っているよね。言葉を獲得する前のあかちゃんだって、何か考えてるっぽいときはいっぱいある。
言葉を使う前のあかちゃんの脳を調べても、言葉を使わない動物の脳を調べても、あちこち、活動してつながりをつくったり、つくりなおしたりしている。これが考えるってことの大元なのかな、と。だとすれば、恐竜が考えているのは当たり前だし、トンボも考えている、ミミズも考えている、線虫も考えてる、とか言えるよね、きっと。
 言葉が生まれる前の人間の思考は、いまもそうだけど、脳の中でつながりをつくったり、組みなおしたりで考えている。言葉じゃなく、イメージとか、感覚とか、感情とか、あれこれ使って。
 おじさんの考えでは、少なくとも寝る動物は、考えているって言っていいんじゃないかと思っています。寝ていないという意識もどきがある状態を持っているんだから、考えている、と言っていいんじゃないのかなと。本当は細胞も考えてるとか言いたいけど。
 ただ思考の高度化には、人になって巨大化した前頭前野の発達は不可欠だし、言語関連野の活動が思考を高度化させたのは確かだと思うけど。まあ、生成AIのおかげで、考えるって、結局、次の言葉の確率的予測の組み合わせに過ぎないのかな、とも思えます。それは言葉でなくてもできる。画像でも、動画でも、音でも、感覚でも、そんなことかな、大量のパラメーターがあればだいたいは思考なんじゃないかな、と強く思い始めています。

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