人間の嬉しいや悲しいはどこから出てくるのですか?
人間の嬉しいや悲しいはどこから出てくるのですか?
人間の嬉しいや悲しいはどこから出てくるのですか? ですよね
どうおもいますか? ・・・・・・
以前の放送で「もやもやの気持ち」について先生が話しているのを聞いて思い付いた。私はバレエでうまく踊れた時、あ!踊れた~嬉しいって思う。心の中で「できた~」って言葉が浮かぶ。悲しいのは怒られた時。泣いちゃう。きっと脳みそから気持ちが出て心臓に信号送ってまた脳みそにいって自分が気持ちに気付く。
なるほど、脳から嬉しいや悲しいが生まれる・・・・そうですね。
たしかに脳には嬉しいとか気持ちよさに関係する側坐核が、脳の奥に左右一個づつあります。それから「「うれしい」スイッチ」のような役割をする腹側被蓋野もあり、ここが、うれしいことがあったときに『もっとこれをやりたい!』とか『楽しい!』って感じさせてくれるドーパミンを出す細胞の出発点になっています。このドーパミンの神経細胞が側坐核を経て前頭葉(おでこのあたりの脳)などに広がっていきます。だから嬉しさは脳から生まれるといっても間違いではない。
悲しみとか恐怖に関係する偏桃体も脳の奥に左右に一対ずるアーモンドのような形で存在しています。内面的な不快感とか胸を締め付けるような悲しさに関連する島皮質というのもの耳の上あたりの少し奥に左右で広がっています。
だから、うれしいや悲しいが脳からうまれるというのは正しいですね。それに加えて、うれしいこと悲しいことに関係する昔の記憶を、海馬(小指くらい)という記憶に関係する場所が働いて思い出すこともあります。
たとえば、おこられたとき、まえにおこられたこと、嫌な気分になったことを思い出したりしませんか?
嬉しい気持ちはうれしかったことも思い出し、悲しい気持ちは悲しかったことを思い出しがちになる回路、しくみも脳にはあったりするのね。
それから、偏桃体や側坐核、海馬でうまれた嬉しい、悲しいを、おでこの下の方、目の上側当たりの脳、内側前頭前野というんだけど、そこで再評価されるんだ。なにかおこっている「もやもや」をちゃんとした感情としてとらえようとするんだ。このときに、内言と言って「できた!」「うれしい」とか「おこられた」「かなしい」とか脳の中で言葉になったりもするのね。
それから、脳みそから気持ちが出て心臓に信号送ってまた脳みそにいって自分が気持ちに気付く。ということもある、心臓がドキドキするとそれを感情として解釈しようとしたり、胃や腸の具合が悪いと不快になりがちな仕組みもある。
いま、いくつ? あと三四年すると島皮質が再発達したりして、気持ちも大きく変わってくるかもしれない、学習や周りの環境でも、かわっていく。その意味では嬉しさや悲しさは経験や文化によって決まってくる部分もあるね。
人間の嬉しいや悲しいはどこから出てくるのですか? ですよね
どうおもいますか? ・・・・・・
以前の放送で「もやもやの気持ち」について先生が話しているのを聞いて思い付いた。私はバレエでうまく踊れた時、あ!踊れた~嬉しいって思う。心の中で「できた~」って言葉が浮かぶ。悲しいのは怒られた時。泣いちゃう。きっと脳みそから気持ちが出て心臓に信号送ってまた脳みそにいって自分が気持ちに気付く。
なるほど、脳から嬉しいや悲しいが生まれる・・・・そうですね。
たしかに脳には嬉しいとか気持ちよさに関係する側坐核が、脳の奥に左右一個づつあります。それから「「うれしい」スイッチ」のような役割をする腹側被蓋野もあり、ここが、うれしいことがあったときに『もっとこれをやりたい!』とか『楽しい!』って感じさせてくれるドーパミンを出す細胞の出発点になっています。このドーパミンの神経細胞が側坐核を経て前頭葉(おでこのあたりの脳)などに広がっていきます。だから嬉しさは脳から生まれるといっても間違いではない。
悲しみとか恐怖に関係する偏桃体も脳の奥に左右に一対ずるアーモンドのような形で存在しています。内面的な不快感とか胸を締め付けるような悲しさに関連する島皮質というのもの耳の上あたりの少し奥に左右で広がっています。
だから、うれしいや悲しいが脳からうまれるというのは正しいですね。それに加えて、うれしいこと悲しいことに関係する昔の記憶を、海馬(小指くらい)という記憶に関係する場所が働いて思い出すこともあります。
たとえば、おこられたとき、まえにおこられたこと、嫌な気分になったことを思い出したりしませんか?
嬉しい気持ちはうれしかったことも思い出し、悲しい気持ちは悲しかったことを思い出しがちになる回路、しくみも脳にはあったりするのね。
それから、偏桃体や側坐核、海馬でうまれた嬉しい、悲しいを、おでこの下の方、目の上側当たりの脳、内側前頭前野というんだけど、そこで再評価されるんだ。なにかおこっている「もやもや」をちゃんとした感情としてとらえようとするんだ。このときに、内言と言って「できた!」「うれしい」とか「おこられた」「かなしい」とか脳の中で言葉になったりもするのね。
それから、脳みそから気持ちが出て心臓に信号送ってまた脳みそにいって自分が気持ちに気付く。ということもある、心臓がドキドキするとそれを感情として解釈しようとしたり、胃や腸の具合が悪いと不快になりがちな仕組みもある。
いま、いくつ? あと三四年すると島皮質が再発達したりして、気持ちも大きく変わってくるかもしれない、学習や周りの環境でも、かわっていく。その意味では嬉しさや悲しさは経験や文化によって決まってくる部分もあるね。
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